長野🐮善光寺「回向柱(えこうばしら)💄」【歴代ふくむ】

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長野🐮善光寺の「歴代 回向柱💄」

善光寺・回向柱

大きさ

  • 高さ:約10メートル
  • 直径:45㎝角
材質

  • 木製(杉・赤松など)
立っている場所

  • 善光寺本堂前
  • 子院「世尊院(釈迦堂)」

善光寺・回向柱の読み方

回向柱は「えこうばしら」と読みます。

回向柱とは?「回向柱の役割り」

回向柱とは、善光寺で7年に1回だけ行われる御開帳が終了した後に建てられる柱のことを「回向柱」と呼びます。

歴代の回向柱は御開帳のシンボルでもあり、「卒塔婆の一種」とも言われています。

卒塔婆(そとば)とは、通常は仏舎利(お釈迦さまの骨壷)を奉安するために造られる「塔」の形をした建造物のことを言います。

卒塔婆の起源はインドであり、サンスクリット語では「ストゥーパ(仏塔)」と読まれます。卒塔婆の語源は、このストゥーパを音訳したものです。

回向柱は木製で出来ているため、時間と共にすり減っていく柱でもあります。

なので、歴代回向柱は古いものほど長さが短いです。

本堂前の回向柱は特別に「大回向柱」と呼ぶ

実は善光寺の御開帳では回向柱が2本立ちますが、本堂前の回向柱が最大の大きさとなり、45㎝角の高さ約10メートル、重さにするとなんと!約3トンもの巨大な赤松(アカマツ)の柱になります。

しかし時へ経ると風食や気温・湿気の作用により、約60年前に造られた柱は約30センチほどにまで小さくなってしまいます。




塔頭の「世尊院」境内にも回向柱が立つ

善光寺本堂から仲見世通りを抜け、南方向に5分ほど下った場所に「釈迦堂(世尊院)」という善光寺の塔頭寺院があります。

実は、この世尊院にも同様の回向柱が建てられます。

ということは、世尊院にも仏像が奉安されているわけなのですが、なんと!日本で唯一となる銅造釈迦涅槃像【重要文化財】が安置されています。

この像が唯一とされる理由は、等身大の涅槃(ねはん)像、すなわちオッさんがヒジを付きながら深夜のエロ番組を視聴する姿をモチーフとしたような「ゴロ寝姿の仏像」になるからです。

無論のこと、このオッさんがヒジを付きながら深夜のエロ番組を視聴する姿をモチーフとしたような「ゴロ寝姿の仏像」は世尊院の御本尊であり、本堂御前立ちと同様に右手に金糸が結ばれ、これに5色に糸が結ばれて最後に白い布が結ばれます。

世尊院の回向柱は少し小さめですが30㎝角高さ6メートルとなります。

善光寺の回向柱が2本立つ理由

ズバリ!善光寺の回向柱が2本立つ理由は、御本尊と結縁することに依って、現世と未来(来世)の幸福を享受するためです。

前述でご紹介したように善光寺の御開帳時には、「本堂」と「世尊院(釈迦堂)」との2ヶ所に回向柱が立ちます。

本堂の御本尊は「阿弥陀如来」です。世尊院の御本尊はオッさんがヒジを付きながら深夜のエロ番組を視聴する姿をモチーフとしたような「ゴロ寝姿の仏像」、すなわち「釈迦如来」です。

釈迦如来は現世を司り、阿弥陀如来は来世(未来)を司る仏とされています。

つまり、これら2つの仏に繋がれた回向柱に触れることにより、未来と現世の2つの幸福を授かることができるというワケです。

回向柱の文字(梵字)の意味

回向柱には、インドの文字(梵字)で大きく墨書きされています。

この文字意味は、上から「空 風 火 水 地(キャ カ ラ バ ア)」と書かれています。

意味は、広大で無限の宇宙を表現しています。

仏教において、宇宙とは5つの要素で成り立っていると考えられており、その要素と言うものが「空 風 火 水 地」になります。

回向柱は触れるだけで、ご利益満点?

上述の5つの要素を色で表現する時に、青、黒(紫)、赤、白、黄の5色で表現されます。

この5つの色は御開帳の時などに「善の綱」と呼称される「1つの紐」となって回向柱に繋がれます。

「善の綱」のもう片方の繋がれる先は、前立本尊の右手の中指と繋がれた「金の糸」の先に繋がれます。

すなわち、お前立ちの御本尊に繋がれた金の糸は内陣→外陣を経たあたりで5色の糸に変わり→最後は白い布に繋がれた糸に変わるワケです。

これら3部構成の糸を以って『善の綱』と呼称します。

まとめると、「白い布」と「5色の紐」は「金の糸」を通して御前立の御本尊と繋がっているため、これを以って前立本尊と回向柱が繋がったことになります。

すなわち、原理原則から言えば、この回向柱に触れることによって前立本尊と結縁(けちえん/縁を結んだ)したことになり、触れた事と同じだけのご利益を授かることができるというワケです。

御開帳が終わった後の回向柱は何処へ~?

御開帳が終了すると回向柱は経蔵の裏に移されます。

経蔵の裏には歴代の回向柱が安置されており、時代を経るごとに土に還っていきます。

つまり、時を経るごとに、だんだんと長さが短くなって行くといったことになります。

回向柱は御開帳の時に、松代町から牛に引かれて善光寺へ運ばれますが、その時の引き縄に触れると功徳が得られるとも言われており、現在でも大勢の人が回向柱に触れようと人だかりができます。

恐怖?!善光寺に真っ赤な「血の色の回向柱」が存在する?!

実は、善光寺が菩提所としている西方寺(さいほうじ/善光寺・仮本堂)には、真っ赤の血の色をした回向柱が存在するそうです。

この場合の「菩提所」とは、ご本尊を遷した場所と言う解釈になります。

つまり、善光寺は過去に数回、火事に見舞われていますが、その度にご本尊を遷して避難させています。

その遷した先と言うのが、善光寺の境内の向かって西側に建立されている西方寺です。

  • 「1615年(元和元年)3月13日の大火災」
  • 「1700年(元禄13年)7月22日」

なお、「1700年」の火災は被害が大きく、「1707年(宝永4年)8月13日」までの約7年もの間、西方寺が善光寺の仮本堂となっていました。

そして、西方寺の血の色の回向柱ですが、見た目とは異なり『命の回向柱』と呼称されており、ダライ・ラマ法王の御来寺5周年記念を祝って特別に建立され納められたそうです。

歴代の回向柱は木の色のまま、もしくは白色なのに対し、命の回向柱は真っ赤な色で染められており、触れると長寿が得られるとされています。

なお、この命の回向柱は、日本で西方寺にしか存在しないそうです。




えっ?!回向柱のお守りがある!?

実は、善光寺の回向柱にはお守りが販売(授与)されています。

種類も「ミニ回向柱」と呼称されるストラップ守りから、本物の回向柱を小さくしたようなお守りまであります。

しかし、これらのお守りは御開帳の時にのみ授かることのできる限定のお守りとなっており、通常では授かることができません。

つまり7年に1度しか、授かることのできない貴重かつ超レアなお守りと言うことになります。

なお、これらのお守りは少し特殊なお守りで7年間の有効期限があるお守りとなっています。

7年間の有効期限と言うことは、お分かりの方もいらっしゃると思われますが次回の御開帳の時まで有効と言うことです。

すなわち、次回の御開帳の時に、またお守りを授かって、これを繰り返すといったことになります。

回向柱および、ご開帳の期間限定のお守りについては下記ページを参照💘

歴代回向柱の場所(地図)

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