その昔、現在の「布岩」下の村落に住む不信心な老婆がい申した。ガハっ
ある日、釈尊の慈愛によって老婆は菩提心を与えられ、布引山の下に住んだ。
老婆には12人の孫がいたが、孫たちは生まれ変わった老婆を慕い、布引山の老婆の家へ移ってきて一緒に暮らしたのだった。
老婆の慈愛に満ちた御心によって育てられた孫たちは立派に成人し、その後、老婆は思い残すことなくこの世をさった。
‥‥‥と、不思議しぎしぎ摩訶不思議なことに老婆は乳母の姿をした石へと変化し、やがてその石は乳母石と呼ばれるようになった。
十二人の孫たちも善男善女となったことから、十二権現として祀られることになった。
その後の乳母石
言い伝えによると乳母石はこの後、八重原(やえはら)の権助と云う者の仕業でビーチク(乳房)の部位が破壊されたと云われるが、祟りがあったのか権助はある日、急に心臓が止まって死んだのだった。
そればかりか権助の一家も断絶し無くなった。
現在、乳母石の周辺には十二河原などの地名があるが、これらは老婆の十二人の孫たちに由来するものと伝わる。
また、この乳母石は頭部も失われていて往時の姿はとどめていないことから、案内板でもないかぎり乳母石だと分からない。
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