長野🐮善光寺「仁王門」
創建年
- 1752年(宝暦2年)
再建年
- 1864年(元治元年)
- 1918年(大正7年)
大きさ
- 高さ:約14m
- 横幅:約13m
- 奥行:約7m
建築様式(造り)
- 入母屋造
- 二層・八脚門
- 唐破風付き
屋根の造り
- 銅瓦葺
材質
- けやき
善光寺・仁王門の読み方
善光寺・仁王門は「におうもん」と読みます。
仁王門は、長野・善光寺にだけある特別な門などではなく、日本全国の至る寺院で見かけることができます。
善光寺・仁王門の歴史
善光寺は長野県の中でも大きなお寺のひとつです。
善光寺境内にある仁王門は参拝者を迎合する出入り口でもあります。
1752年に設立されましたが、二度の火災に遭い、再建を繰り返されてきました。
まず、1847年(弘化4年)善光寺地震で倒壊・焼失しています。
その後の1918年(大正7年)にも再建がなされています。
現在見ることのできる仁王門は、上記の1918年(大正7年)に再建されたものです。
仁王門の両側には巨大な仁王像が2体立ち並び、その足元には多くの草鞋が奉納されています。
草鞋を奉納することで仁王様の力量を表し、魔物除けの効果があると言われています。
仁王門は旅行の安全祈願や厄除けとして有名なスポットでもあるのです。
善光寺・仁王門の仁王像
善光寺・仁王門には、以下の2体の仁王像が安置されております。
阿吽の仁王像
阿吽の仁王像は口を大きく開けた「阿吽」の口で彫られており、血管が浮き出た手足から、これら2体の仁王像を制作したのは高村光雲とその弟子である米原雲海と伝来しております。
なお、阿吽の仁王像の手足に浮き出る血管部分の造りが、あまりにも精密なことから光雲の弟子である米原雲海は、医学的な見識も持ちあせていたであろうと推測されています。
吽形の仁王像
左手にクソほど巨大な金剛杵(こんごうしょ)を持ち、悪を懲らしめるために威嚇した容姿をしておられます。
仁王門の向かって裏側の2体の仏像
善光寺・仁王門の向かって裏側には、もう2体、少し趣旨の異なった仏像が安置されています。
その像と言うのが、「三宝荒神像(さんぽうこうじん)」と「三面大黒天像(さんめんだいこくてん)」が安置されています。
三宝荒神像
三宝荒神は、カマドの神様、防火の神様として有名です。
御神体は、兵庫県宝塚市清荒神にある「清澄寺(せいちょうじ)」、通称・「荒神さん」に、ご鎮座されています。
三面大黒天像
三面大黒天とは、大黒天、毘沙門天、弁財天が合体した仏像です。
三面大黒天は、天台宗の開祖である伝教大師・最澄にまつわる由来を持った仏様です。
善光寺・仁王門の「扁額」
善光寺・仁王門の中央部には「扁額」が備え付けられています。
この扁額には「定額山(じょうがくざん)」と書かれており、これは山号となります。
この扁額の字は、伏見宮の貞愛親王(さだなるしんのう)の筆と云われております。
善光寺・仁王門の前に敷かれた石畳
善光寺・仁王門の前には、広大な参道となっています。
この参道の1714年に敷かれた石畳は7777枚で、数百年もの歴史を越えて来ました。
季節によって四季折々の表情を見せるところも魅力のひとつであると言えます。
仁王門には、徳川家の家紋でもある葵紋と仁王門を建てた人々の家紋も彫られています。
消失と復興を繰り返し、それでもなお荘厳とした雰囲気を持っている善光寺の仁王門には、国内のみならず海外からの参拝者も絶えることがありません。
夜にライトアップされた仁王門はさらに偉大な雰囲気を醸し出します。
関連記事:長野県・善光寺(参道)「石畳(敷石)」
善光寺🐮仁王門の場所(地図)
善光寺の仁王門は善光寺・本堂から徒歩で約4分、距離にして約500mほど南へ下った先に位置します。
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