長野県 善光寺・釈迦堂(世尊院)【重要文化財】
創建年
- 不明
再建年
- 不明
- 1700年以降(江戸時代中期)
建築様式(造り)
- 入母屋造り
- 正面唐破風向拝付き
屋根の造り
- 瓦葺
御本尊
- 釈迦涅槃像
- 毘沙門天像(脇侍/善光寺七福神)
- 不動明王像(脇侍)
善光寺・釈迦堂(世尊院)の読み方
釈迦堂は「しゃかどう」
世尊院は「せそんいん」
善光寺・釈迦堂(世尊院)の歴史・由来
実は善光寺・釈迦堂とは通称となり、正式には「世尊院・小御堂」と呼称します。
釈迦堂の名前に由来とは、御本尊である釈迦涅槃像が祭祀されていることに由来します。
釈迦堂は善光寺大勧進の管理下にあって天台宗衆徒20院の1つ・または大勧進25院の1つとして数えられています。
すでに当サイトの他ページ(善光寺・本堂)でご紹介のとおり、善光寺の境内は過去に数回焼けています。
そのうち本堂は11回も焼けており、本堂に関しては1707年の再建時の姿あり、直近の火災となるのが1624年に起こった大火災です。
この火災では善光寺の境内はもとより、城下町にまで火の粉が及んでいます。
恒久平和のシンボルとして威厳を放っていた江戸幕府もこの大火災には相当な面を食らったようで、今後2度と燃えることが無いようにと、本堂を現在の場所に移転しての再建計画を練っています。
この再建では、日光東照宮の大棟梁で名を馳せた「甲良宗広」の孫にあたる「甲良宗賀(こうらむねよし)」を大棟梁(大工)に抜擢しています。
また、松代藩3代目藩主・真田幸道に本堂再建の工費を工面し、造営の指揮にあたるように命じています。
しかし実際に再建の現場の指揮を執ったのは真田幸道侯の家老を務めた小山田平太夫であり、平太夫を普請奉行(現場総監督)として再建現場へ送り込んでいます。
ちなみにこの再建の総工費は2万4千577両もの大金を要したと造営記録に残っているようです。
そしてこの1624年(寛永19年)の火災ですが、記録によると善光寺の城下町が全焼するすほどの火災であったと伝えられており、善光寺史上でも類を見ないほどの大火災であったと伝えられています。
また、以前の本堂は現在の仲見世通りの「延命地蔵」と「松屋旅館」のあたりに造営されており、それまでは善光寺・本堂ではなく「信州善光寺・如来堂」と呼称されていました。
つまりこの釈迦堂(世尊院)は1707年の本堂再建までは、仲見世通りの脇道を通して本堂と向かい合う形で造営されていたことになります。
一方、釈迦堂の再建に関しては大火災の後、本堂が1707年に現在の場所に再建されていますので、1700年代にはこの釈迦堂も再建されたものと考えられます。
その根拠を示すもの1つとして、釈迦堂は本堂と同じく「回向柱」が立つほど重要視されていためとも捉えることができます。
しかし本堂が現在に位置に移転するまでは、おそらく例年、多くの参詣者がこの涅槃像へも参拝に訪れたことが想像につきます。
善光寺・釈迦堂(世尊院)の建築様式(造り)
善光寺・釈迦堂は江戸建築の特徴がよく出ており、一目すれば日光東照宮を彷彿とさせる建築が見受けられます。
「朱色の丹塗り」と「黒の漆塗り」に「金の飾り細工」を基調として、これに極彩色を用いた建築は日光東照宮の社殿群を彷彿とさせます。
特に目を惹くのは正面・唐破風の向拝の軒下に据えられた「龍の彫刻」や木鼻の唐獅子の彫刻と極彩色の色彩です。
「扉」は黒漆塗り、「縁(えん)」と「高欄」は丹塗りで色鮮やかに彩られ、正面左には禅宗様の特徴とも言える「花灯窓(かとうまど)」が見受けられます。
いずれにしても江戸時代における技法をすべて凝縮させた、日光山の建造物群で見かけることのできる特徴がこの釈迦堂にはよく現れています。
釈迦堂正面の変額
この釈迦堂の正面の変額は寂順と言う高僧の筆によるもので、寂順とは1881年(明治14年)に善光寺大勧進となった人物であり、1896年(明治29年)には天台座主に就任したほどのお方です。
”釋”迦堂と書かれていますが、これは”釈”の旧字体となりますので間違いではありません。
えぇっ?!善光寺・釈迦堂にもオリジナルの御朱印があった!
この善光寺・釈迦堂にはなんと!オリジナルの御朱印があります。
涅槃釋迦如来の御朱印
御朱印は2種類あって1つは中央に「涅槃釋迦如来」と墨書きされています。
ここで注目してもらいたいのが、釈迦の「釈」の字体が旧・字体の「釋」で墨書きされているところです。
毘沙門天像の御朱印
もう1つは釈迦涅槃像の脇侍である毘沙門天像の「毘沙門天」と墨書きされた御朱印 になります。
- 御朱印の授与場所:善光寺・釈迦堂(世尊院)
- 御朱印の値段:300円
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善光寺・釈迦堂の見どころ
花ヶ池
この釈迦堂(世尊院)には、「善光寺七池」に数えられる池があります。
そして、この池の名前を「花ヶ池」と呼称します。
長野・善光寺七池・一覧
- 阿闍梨池(本覚院・元善町)
- 鶴の目池(秋葉神社・西後町)
- 狐池(諏訪池・西長野)
- 有方池(埋没)
- 無方池(西方寺)
- 来間池(長野市桜枝町)
- 花ケ池(世尊院・元善町)
花ヶ池には特徴的な像が立っており、龍の頭に素っ裸で兜(かぶと)を頭にカブって大股を開き、「ピぃ~」をモロに見せている童(わらべ)像が立っています。
この像、彫刻家の「籔内佐斗司(やぶうち さとし)氏」が手がけた像だそうですが・・しかし何とも滑稽で稀有な像とも言えます。
ちなみにこの花ヶ池は、かつて善光寺・本堂が現在の松屋旅館と延命地蔵尊に建っていた頃、本堂へお供えするための水(閼伽水)として使用されていたそうです。
花ヶ池がライトアップされる??
例年、2月の中旬を迎えると、ここ善光寺では「長野灯明まつり」と言う行事が執り行われます。
この行事では、善光寺の本堂を含めた子院がライトアップされ、通常とは違った善光寺を見ることができます。
そして、長野灯明まつりの期間中は、この世尊院でもライトアップが行われ、なんと!花ヶ池もライトアップされています。
ライトアップされた「ピぃ~」を見たい方は是非!長野灯明まつりに合わせて、この世尊院・釈迦堂まで足を運んでみてください。
ちなみにこの期間中は世尊院・釈迦堂にて釈迦涅槃像とその脇侍である不動明王像と毘沙門天像が一般に特別公開されます(御開帳)。
御本尊・釈迦涅槃像
この釈迦堂(世尊院)には「釈迦涅槃像」が安置されています。
釈迦堂の釈迦涅槃像は国の重要文化財の指定を受けているほどの仏像で、涅槃像らしく横たわった姿勢で祀られています。
釈迦涅槃像の詳細に関しては以下↓の別ページにてご紹介しております。
善光寺・釈迦堂のオリジナルのお守り
この釈迦堂では御朱印だけではなく、ぬぅあんと!オリジナルのお守りも授かることができます。
釈迦堂のオリジナルのお守りとして回向柱の木札のようなお守りがあります。
【補足】善光寺・釈迦堂(世尊院)の境内地図
釈迦堂(世尊院)の御本尊と脇侍が安置されているのは前方の釈迦堂になります。
釈迦堂の右脇には、瓦葺の小さな二脚門があり、そこから世尊院の境内へ入ることができます。
善光寺・釈迦堂(世尊院)へのお問い合わせ先「住所・電話番号・営業時間・定休日」
- 住所:長野県長野市元善町475
- 営業時間(拝観可能時間):8時から16時まで(境内は24時間参拝可能)
- 定休日:不定休(参拝不可能日あり。基本は年中無休)
- 公式URL:https://www.zenkoji.jp/shukubo/list/sesonin/
拝観料金
残念なことに釈迦堂の本尊は特別拝観日だけに御開帳されます。
御本尊と脇侍は内陣の奥で安置され幕が垂れ下がっており、普段は拝観することができません。
- 御本尊幕開帳料10人まで1回1000円(堂内解説付き)
- 10人以上の場合は1人100円
- 特別拝観日は拝観料金無料
善光寺・釈迦堂(世尊院)/釈迦涅槃像の場所(地図)
善光寺・釈迦堂(世尊院)は、善光寺のメインストリートともなる仲見世通りの中程を右に入った脇道「地蔵東小路」の突き当りに位置します。
ひときわ華やいだ派手な造りの堂舎(釈迦堂)があるので分かります。
現在の釈迦堂は仲見世通りからは外れていますので、混雑はなく比較的、穏やかです。
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