善光寺・七名物とは、その言葉の指し示す通り、善光寺の7つの名物のことです。
これらの七名物は主に門前町で販売されていた名物になり、現在では現存している物と現存していない物とに分かれます。
以下では現存する・しないに関係なく、かつて善光寺・七名物と呼称されていた物をご紹介します。
長野・善光寺の七名物その1「七味唐辛子」
善光寺で販売されている七味唐辛子は、「日本三大七味唐辛子」として有名です。
日本三大七味唐辛子とは、江戸時代の初期に創業された3つの老舗店のことを指し以下のような3店になります。
- 東京・浅草「やげん堀・中島商店」
- 京都・清水「七味家本舗」
- 長野市・善光寺「八幡屋礒五郎」
長野・善光寺「八幡屋礒五郎」
善光寺「八幡屋礒五郎」は実はなんと!実際に現在も営業されている老舗であり、ここでは実際に従来通りの七味唐辛子を販売しています。
「八幡屋礒五郎」の七味唐辛子は、他の2店の七味唐辛子と比較すると、辛み・香りを両立させたような、何とも贅沢な七味唐辛子になります。
「八幡屋礒五郎」の七味唐辛子の材料
蕃椒(バンショウ・唐辛子)、白薑(ビャクキョウ・生姜)、紫蘇、山椒、陳皮(チンピ)、胡麻、麻種(オタネ)
これらの材料を江戸時代の創業から伝来する調合方法で独自の風合いを持つ七味唐辛子が作られます。
善光寺「八幡屋礒五郎」のお問い合わせ先
住所:長野県長野市大門町83
営業時間:午前9時〜午後6時30分(カフェは午前10時〜)
定休日:なし(無休)
公式サイト:https://www.yawataya.co.jp/
【補足】七味唐辛子とは?
唐辛子は南米アマゾン河流域の周辺で好まれて食されていたものです。
ヨーロッパの大航海時代に発見され、ヨーロッパで広まり南蛮貿易によって、1500年代後半に日本へ流入しました。
江戸時代初期に辛子を販売していた中島徳右衛門が江戸両国薬研堀に店を構えて七味唐辛子を販売したところ、これが江戸っ子の間で大ブームとなり、瞬く間に日本全土へ広まったようです。
七味唐辛子の意味
七味唐辛子とは、唐辛子をすり潰し、その上におおよそ七種類の香辛料などを混ぜて完成した物が七味唐辛子になります。
七味唐辛子の賞味期限
七味唐辛子の香辛料の香りは、おおよそ半年くらい持ち、賞味期限はおおよそ1年間と言われています。
ただし、七味唐辛子は湿気に弱く、湿気を帯びると劣化が早いようです。
七味唐辛子の栄養価
唐辛子に含まれるカプサイシンは発汗作用を促し代謝率を高めます。
栄養分は鉄分、ビタミン群、カリウムなど含まれています。
七味唐辛子の効能・効果
- 新陳代謝促進効果
- ドテッ腹の中性脂肪の燃焼増加
- ダイエット効果
- 身体の体温を下げる効果(発汗を促して身体の表面から内部を冷却)
長野・善光寺の七名物その2「善海の田楽」
長野県長野市東之門町に位置する「寛慶寺(かんけいじ)」には、かつて「善海(ぜんかい)」と名乗る僧侶がいました。
この僧侶、殺人の罪を犯し、追われて逃げ隠れた寛慶寺で仏門に帰依したそうです。
そして反省に意味からか善光寺へ訪れた旅人へ味噌田楽を提供していたそうです。
善海が味噌田楽を提供していた店と言うのが、現在の善光寺・世尊院の前あたりだったそうです。
現在はありません。
長野・善光寺の七名物その3「雲切目薬」
「雲切目薬」とは、1543年(天文12年)に眼界堂・笠原十兵衛薬房がポルトガル人から目薬の製造方法を聞き出して販売した、おおよそ460年の伝統を持つ「伝説の幻の目薬」です。
主に善光寺の参拝客に販売され、やがて善光寺七名物の一角にまで知れ渡ることになります。
この目薬少し特殊な目薬で、なんと!目をしみさせて涙腺を刺激して目に涙を流させて、目の内側の病原体を取り除くといった荒療法的な目薬であったと云われております。
それもそのハズ、この目薬はもともと傷薬として販売していたものであり、とても刺激がある薬であったと云われています。
いつにしか目薬として目に使用するものが現れ、刺激から偶然に涙を流したことによって目の平癒に至り、これが広まったものと考えられます。
しかし、あまりにも刺激が強すぎて危険視され、また昭和57年に新たに設立された薬事法の条項にそぐわない目薬(薬品)であることから販売中止となりました。
しかし、平成10年に差し掛かると、かつて世間を賑わせたほどの効能と効果を持つ善光寺七名物・「雲切目薬」としての販売中止が惜しまれて、大手製薬メーカーが薬事法の条項に則った形式で現代版の「雲切目薬」を再販しています。
ちなみにこの目薬(傷薬)、固形で粘着質であったことから、なんと!痔(じ)の特効薬にも適用され「雲切痔退膏」としても販売されていたようです。
長野・善光寺の七名物その4「ねり膏薬」
「膏薬」とは「こうやく」と読み、これは傷や「おでき」などに塗る粘着・固形タイプの外用薬のことで、一般的には「膏薬練(こうやくねり)」の名前で通っています。
原料は主に動物性の油脂で作られています。
かつて善光寺下駅交差点の南側付近の「淀ケ橋」のあたりに存在したといわれる「川島屋」で販売されていた「おできの薬(外用薬)」になります。
しかし残念ながら現在ではすでにこの薬は現存しないようです。
長野・善光寺の七名物その5「ローソク」
善光寺門前にある「東之門町」にかつて存在した「牧屋」と言う店で取り扱っていた「ローソク」になります。
一説では特殊なローソクであったようで、その特殊と言うのが大きさなのか?色なのか?など、いっさい謎のようです。
つまり、現存していないローソクとなります。
長野・善光寺の七名物その6「鐘鋳川端のまんじゅう」
善光寺の西側に位置する「長野商業高校」の付近には「鐘鋳堰(かないせぎ)」と呼称する地下を流れる川があります。
この川は「長電附属中学前駅」のあたりまで流れている川で、かつては鐘鋳川と呼称されていました。
この鐘鋳川の川岸に沿って、かつてはまんじゅう屋が軒を連ねていたそうです。
現在では見る影もなく、「つるや」と称するまんじゅう屋、ただ1店舗のみが現存するまんじゅう屋になります。
実はこの「つるや」、創業は1779年(安永8年/江戸時代中頃)と云われており、つまりは鐘鋳川にまんじゅう屋が軒を連ねていた頃から唯一、残っているまんじゅう屋になります。
「つるや」のまんじゅうは「酒まんじゅう」と言うまんじゅうで、「極上の白麹(酒カス)」を使用したまんじゅうになります。
かつては「つるや」のような酒を使用したまんじゅうだけなく、様々な素材を使用したまんじゅう屋が軒を連ねていたそうです。
そして、この「つるや」の「酒まんじゅう」ですが、その味は創業当時の味を現在まで守り続けているそうです。
そんな「つるや」も創業から220余年を数え、現在、8代目の店主になるそうです。
「つるや」へのお問い合わせ先
住所:長野市東後町34(鐘鋳川端)
電話番号:026-232-5555
FAX番号:026-232-5043
定休日:水曜日(水曜が祝日の場合は営業)
営業時間:午前9時~売切れまで
長野・善光寺の七名物その7「三国一の甘酒」
三国一の甘酒の「三国一」とは「さんごくいち」と読み、これは一般的には「日本・中国・インド」の3つの国(三国)の中でも「もっとも優れている物」と言う意味合いがあります。
大きく言い換えると「世界一」の意味合いにもなります。
そして「三国一の甘酒」なので、三国一の美酒と言うことになります。
しかし実際のところ、どうもこれは商品名のようで三国一の旨さがあるかどうかは、定かではないようです。
と、言いますのも、どうもこの甘酒、「麴(こうじ)」と「米」のみで作られている割と質素な甘酒のようです。
はたして、あなたの舌は何と答えを出す?
現存する善光寺七名物と現存しない善光寺七名物?
これは「まとめ」とはなりますが、現存する善光寺七名物と現存しない善光寺七名物に分けてみました。
現存する善光寺七名物
- 「七味唐からし」
- 「雲切目薬」
- 「鐘鋳川端のまんじゅう(「つるや」の酒まんじゅう)」
- 「三国一の甘酒」
現存しない善光寺七名物
- 「善海の田楽」
- 「ねり膏薬」
- 「ローソク」