えぇっ??野沢温泉が野沢菜の発祥地だった!?「野沢温泉の歴史と野沢菜について」

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野沢温泉の歴史と野沢菜の発祥について

温泉、スキー場、そして野沢菜で有名な野沢温泉の歴史を、時代ごとにご紹介します。

野沢温泉・野沢温泉村の歴史

奈良時代

  • 聖武天皇の時代(724~748年)
    この地を訪れた僧・行基が霊泉(温泉)を発見し、里の人々に伝える。

※平安時代の天暦年間(947~957年)に、山伏が発見したとも伝えられています。

鎌倉時代

  • 「犬養御湯」として、名取御湯、信濃御湯と共にに「三御湯」の1つとされる。
  • 1272年(文永9年)
    野沢温泉村が「湯山村」として初めて史料に登場する。

※「三御湯」には他の御湯が数えられることもあります。

江戸時代

  • 江戸時代初期には24件の宿屋があったと伝えられる。
  • 1639年(寛永16年)
    飯山藩主・松平忠倶(ただとも)が野沢温泉に奉行を派遣し、浴場を改善。

    別荘(湯治場)を建て、一般の人々にも湯治を許可したため、多くの人々が訪れるようになる。
  • 1706年(宝永3年)から
    松平氏の移封(領地替え)以降、温泉は衰え始め、藩主の交代が相次いだこともあり、湯場が荒廃する。
明治時代

  • 温泉村が長野県の管轄になる
  • 1880年(明治13年)
    道路の大改修が実施され、交通の便が改善される。
    以降、旅館や浴場などの大改築が行われる
  • 1912年(明治45年)
    飯山中学校の生徒が初めてスキーを滑る




大正時代以降

  • 1921年(大正10年)
    飯山鉄道(現在のJR飯山線)が開業し、温泉村と野沢温泉駅がバスで結ばれる。

    以降、飯山鉄道や長野電鉄によりアクセス面が向上するにつれ、スキー競技会も開催されるようになる。
  • 1923年(大正12年)
    「野沢温泉スキー倶楽部」が発足し、スキー場の開発、スキーヤーの誘致・宣伝などを行って、スキー場を中心とした村作りが始まる。
  • 1953年(昭和28年)
    豊郷村から「野沢温泉村」に村名が変更される
  • 1956年(昭和31年)
    市川村と合併し、現在の野沢温泉村が誕生する
  • 1963年(昭和38年)
    すべてのスキー場が村営となり、観光地開発が進む
  • 1971年(昭和46年)
    オーストリアのサン・アントン村と姉妹村提携が行われる
  • 1983年(昭和58年)
    長野県が野沢菜漬けを選択無形民俗文化財「信濃の味の文化財」に指定する
  • 1998年(平成10年)
    湯沢温泉スキー場が長野オリンピックの会場の1つ選ばれる

「野沢」の地名の由来

野沢という地名は、「浅葉野の沢」が「野沢」と略されたものだと言われています。

浅葉野(浅葉の野)は、古くは万葉集の歌にも詠まれ、小菅山の辺り一帯を指したと考えらえています。

野沢菜発祥の伝承と歴史

野沢温泉村の健命寺(けんめいじ)には、野沢菜発祥に関する以下のような伝承が伝わっています。

1756年(宝歴6年)、8代目住職の晃天園瑞和尚が、今日を訪れ、名産の天王寺蕪の種を持ち帰りました。

和尚は寺の庫裡裏の畑で天王寺蕪の栽培を始めましたが、標高が高く雪も多い野沢温泉では、蕪は小さく、葉は大きい、まったく違った植物のようになりました。

これが野沢菜の始まりです。

健命寺では、何と250年以上が経った今でも野沢菜の原種が生産されており、「野沢菜発祥の地」の石碑も建っています。

健命寺の畑で採れた野沢菜の種は「寺種(てらだね)」と呼ばれ、全国各地から問屋さんが買い付けに訪れる他、通信販売も行われています。

(なお、遺伝子的研究により、野沢菜は天王寺蕪の子孫ではないことがわかっています。)

大正時代にスキー場が整備され、多くのスキー客が訪れるようになると、それまで「蕪菜」と呼ばれていたものが、地名を取って「野沢菜」と呼ばれ、親しまれるようになりました。

長野県の北信地域では野沢菜は「お菜」または「なっぱ」、野沢菜漬けは「お葉漬け」とも呼ばれています。

その後、昭和40年代以降の観光ブームとともにお土産用の野沢菜漬けの需要も高まり、工場で大量生産されるようになって、信州土産の定番となりました。

野沢菜発祥の寺「薬王山 健命寺」

  • 住所:長野県下高井郡野沢温泉村豊郷9320
  • 電話番号:0269-85-2063

野沢温泉では温泉で野沢菜を洗う!?

野沢温泉にある30余りの源泉の中に、国の天然記念物に指定されている「麻釜(おがま)」があります。

以前、麻を加工するためにここの湯で煮たことから「麻釜」という名がついていますが、現在は約90℃にもなる熱い湯を利用し、温泉卵を作ったり、野菜を茹でたりすることに利用され、「村の台所」とも呼ばれています。

周辺では10月から11月にかけて野沢菜が収穫され、多くの家庭が野沢菜漬けを作ります。

その野沢菜を、麻釜などの共同浴場で洗う習慣があり、今でも11月頃には近隣住民の方が野沢菜を持ってやって来るのです。

「野沢菜洗い」「お菜洗い」などと呼ばれますが、湯の温度が高いため、実際は湯通ししたような状態になり、アクが抜け、甘みが増すということです。




春は野沢菜の菜の花畑が出現!

有名な童謡「朧月夜」の冒頭で歌われている「菜の花畑」は、実は野沢菜畑だと言われています。

作詞家の高野辰之氏が、故郷である野沢温泉周辺の野沢菜畑を見て感動した風景を詩にしたものだそうで、今でも野沢温泉の辺りでは、毎年5月初旬頃には、野沢菜の黄色い花が見られます。

野沢温泉村には、高野辰之氏の業績をたたえた記念館「おぼろ月夜の館[斑山文庫]」もありますので、ぜひ訪れてみてください。

カフェやショップも併設しています。

おぼろ月夜の館[斑山文庫]

  • 住所:長野県下高井郡野沢温泉村豊郷9549-6
  • 電話番号:0269-85-3839
  • 営業時間:9時~17時 ※最終入館16時30分
  • 休館日:月曜日(祝祭日の場合は翌日休館)
    ※ゴールデンウイーク、年末年始は無休
  • 入館料:大人300円、小中学生150円 ※20名以上2割引

【豆知識】野沢菜漬けは2種類ある!

野沢菜漬けには、大きく分けて「浅漬け(当座漬け)」と「本漬け(古漬け)」の2種類があります。

洗った野沢菜を大きな桶で塩漬けにし、2~3日経つと味がしみ込んで「浅漬け」ができます。

そのまま乳酸発酵してべっ甲色になるまで漬け続けたものが「本漬け」で、食感は柔らかく、味に酸味と深みが出るのが特徴です。

「本漬け」になるまでには時間がかかるので、野沢菜の本漬けが食卓に上るようになるのは、毎年12月半ば以降になります。

近年、この本漬けに含まれる植物性乳酸菌の機能性の研究も行われているのだそうです。

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