長野・善光寺「山門(三門)」【重要文化財】
創建年
- 1750年(寛延3年)
再建年
- 1921年(大正10年)
- 2007年(平成19年)
大きさ
- 高さ:約20m
- 正面:約20m
- 奥行:約7.8m
- 長さ(全長):約4.7m
- 外周:約1.64m
建築様式(造り)
- 入母屋造
※二重・楼門
- 丸柱の数:18本
屋根の造り
- 栩葺き
門中央部「扁額」
- 1801年(享和元年/筆・公澄法親王)
重要文化財指定年月日
- 1965年(昭和40年)
善光寺の山門(三門)の読み方
善光寺の山門は「さんもん」と読みます。「三門」とも記される。
善光寺の「山門」と「三門」の意味
お寺の門を「山門」というのは、もともとお寺が山に建てられていた名残です。
高野山金剛峯寺、比叡山延暦寺など歴史のある寺院が、今でも山の中に建っています。
現在、寺が平地に造られても、寺の門を「山門」と呼称しています。
また、三門というのは「三解脱門(さんげだつもん)」を略した言葉です。
「三解脱」とは?
「三解脱」とは以下↓の3つの解脱のことをいいます。
- 「空解脱」
- 「無相解脱」
- 「無願解脱」
「解脱(げだつ)」とは、すべての煩悩を捨て去って、迷いを振り払い、悟りの境地へ踏み出すことを言います。
「三解脱門」とは?
- 全てを空とみなす「空門」
- 相手を差別することのない「無相門」
- 願い欲することを捨てる「無願門」
・・以上の3つの門のことを指し示します。
三解脱することで、何ごとにも囚われることのない心をもちます。
三解脱門は、煩悩を捨てさり、悟りを開いたあと、涅槃(ねはん=永久なる平和の事)のために仏殿に入ろうとする門なのです。
ですから、山門をクグる時は、精神を整え、心穏やにすべての慈しむ心でクグります。ウフ
善光寺の山門(三門)の歴史
善光寺の本堂へ向かい、仲見世を抜けた所に善光寺の山門が建っています。
高さ、間口はともに約20メートル、奥行きが約8メートルの大きな門です。
およそ6年という歳月をかけて、1750年(寛永3年)に完成した山門は、工事費に3788両もの大金がかけられています。
現在の価値でいうと、どのくらいの額かはっきりとはわかりませんが、平成の大修理の時に、山門修復の予算にあてられたのは、なんと9億4千万円以上!!・・だそうです。
修理費でこの金額ですので、これ以上の費用が創建当時かけられたことは、想像にかたくありません。
山門の創建の費用は、ほぼ信仰者による寄進でまかなわれたようです。
現在も人気の御開帳や、江戸時代に行われていた前立本尊を出張させての出開帳で、たくさんの人からの寄進が集められたのです。
善光寺の出開帳は大変人気で、江戸では1番人気の出開帳でした。
また江戸城、大奥の中でも出開帳が行われたという記録も残っています。
何百万もの人々から集められた寄進でできた山門は、江戸中期の代表的な楼門建築として、1965年(昭和40年)国の重要文化財に指定されました。
善光寺・山門(三門)の建築様式
二層の入母屋(いりもや)造りの屋根は、サワラ板の栩(とち)葺きで出来ています。
栩葺きとは、木の板を屋根材とする屋根の葺き方です。
栩葺きでは、厚みが10~30mmの板を使用します。
サワラの木は柔らかく、水に強いので板葺きの木材として人気があります。
山門には、木曽の国有林から伐採された良質なサワラが使用されています。
以前の山門は、本堂の屋根と同じく、檜皮(ひわだ)葺きでした。
1921年(大正10年)に、本堂の屋根が葺きかえられた時に、山門も檜皮葺きになったのです。
しかし、創建当時は栩葺きであったことから、2002年~2007年(平成14年~平成19年)に行われた平成の大修理の際に、栩葺きに葺きかえられました。
現在、善光寺の山門は、日本一の規模をもつ栩葺きの建築物になっています。
山門には周りの長さが1.64メートルもの樫の木の丸太が18本も使われています。
山門はこれらの柱で5つの間に区切られ、その中央3か所が吹き抜けの出入り口になっている5間3戸の門です。
3つの出入口の両隣の板壁には禅寺などでよく見られる「花頭窓(かとうまど)」がついています。
2層部分の5間のうち、中央3間には、双折浅唐戸(もろおりさんからど)が吊られていて、その両脇には連子窓(れんじまど)がついています。
また2層部分には、高欄(こうらん)と呼ばれる「手すり」が設けられており、高欄には擬宝珠(ぎぼし)という飾りがついています。
山門の中央から本堂を見ると・・?!
山門を通り抜ける途中に、本堂を見るためのベストスポットがあります。
3つの入り口の中央から入り、奥行きの3つの柱の真ん中の柱と同じ線に立ちます。
横からも奥行きからも真ん中、つまり山門の中央部分に立つのです。
ここから本堂を見ると、山門の横と縦の柱で縁どられ、本堂が額縁の中に入っているように見えます。
江戸時代の人々は透視図法を用いてこの山門を建てたのです。
山門という額縁で、本堂をありのままの姿で絵画にしてしまうのですから、昔の人には頭があがりません。
江戸時代の人々の平均身長が約155cmで、これを基準に額縁は造られています。
それに合わせて身をかがめたり背伸びしたりして本堂をご覧ください。
善光寺・山門の扁額には「牛」と「鳩」がいる?!
山門にかかげられた「善光寺」の扁額は、下から見上げれば小さく見えますが、畳3畳分の大きさを持ちます。
この「善光寺」の字は輪王寺(りんのうじ)の宮、公澄法親王(こうちょうほっしんのう)が書いたものです。
昭和の大修理の時に書き換えられたもので、もともとの額は善光寺資料館に所蔵されています。
善光寺・山門の扁額の牛の顔
山門に近寄ってじっくりと「善光寺」の文字を見つめてみると、「善」の文字が牛の顔に見えてきます。
牛の輪郭と、角、鼻の穴が、見事に「善」の字で表現されているのです。
「牛に引かれて善光寺参り」の話にもとづき、牛を表現したのでしょう。
善光寺・山門の扁額の鳩の顔
また、額の中には、鳩の姿も描かれています。
「善」に2羽、「光」にも2羽、「寺」に1羽の鳩が隠れています。
どこだかお分かりになりましたか?
ぜひ、見つけてみてください。
善光寺と鳩の縁
善光寺境内には、たくさん鳩がいました。
今ではその数も少なくなっていますが、昭和には、境内で鳩のエサを売る店もあったようです。
山門の改修工事の時にはたくさんの鳩の糞がでてきたようで、それを集めると3トンにもなったといいます。
だいたい大人の象1頭分ほどの糞ですから、そうとうな数の鳩が善光寺境内を飛び回っていたことになっています。
仁王門の南にある交差点の信号標識「善光寺」の文字にも同じように鳩が隠れています。
文字や絵にすると可愛い鳩ですが、鳩の糞の被害は恐ろしいです。
ド頭に鳩グソ(糞)を投下されないように注意しましょう。
善光寺山門(三門)の仏像
山門の内部には仏像が安置されていて、山門の本尊は学業にご利益のある「文殊菩薩」となる。
馬に乗った木造の文殊菩薩騎士像(文殊菩薩騎獅像)の周りを、四天王である持国天、広目天、増長天、多聞天が守っています。
これらの仏像は、外観からは見ることが叶いませんが、山門の内部に安置されています。
四国八十八ヶ所霊場の分身仏も安置されていて、お遍路さんをせずとも山門の中で一度にお参りができるようになっています。
また見事な仏壁画も平成大修理の時に、復活しました。
門の内部には、江戸時代の参詣者による落書きが見られます。
善光寺では、参詣の記念に、柱や壁に落書きをする人が多くいました。
現在はもちろん落書きは禁止ですが、以前は本堂の柱にもたくさんの落書きが書かれていたのです。
また京都の知恩院の門にも昔の人が書いた落書きがたくさん残っています。
江戸時代、寺社に来て、自分の名前や参拝した日付を書くのは日常的なことだったのかもしれません。
善光寺の山門に残る落書きには「江戸 と組よね」と書かれたものや「大正十三年」と書かれたものがあり、それらはハッキリと読むことができるほど、キレイに字が残っています。
その他にも墨で書かれた字がたくさんありますが、難しい字であったり、消えかけていたり、読み説くのが難しいものが多いです。
えぇっ?!善光寺の山門の上には登ることができる?!
善光寺の山門は、なんと!2階部分に登って長野・善光寺の景色を一望することができます。
しかし残念なことに、老朽化が予想以上に進行し、山門の拝観は約40年の期間、中止されていました。
その後、上述の2002年~2007年(平成14年~平成19年)に行われた「平成の大修理」の後、山門の上に登ることが再びできるようになりました。
山門へ登るには山門の北側(本堂側)の受付をすませて、靴を脱いで急な階段を上がっていきます。
かなり急な階段で、段差の幅も狭いので、十分気をつけて登り降りしてください。
拝観者が順に連なって階段を上って行くので、スカートで登るのもおすすめしません。
山門の2層目に入り、門の中から長野市の街を見ることができます。
山門内の撮影は禁止されていますが、外に向かっての撮影は許可されています。
山門からの門前町(仲見世通り)を見下ろした眺望
画像は善光寺の公式より
善光寺・山門「拝観受付時間(登門可能時間)・料金」
拝観受付時間
- 9時~16時まで(予定)
拝観料金
- 大人:500円
- 中・高校生:200円
- 小学生:50円
※本堂・内陣との共通拝観券:1000円
善光寺・山門(三門)の場所(地図)
善光寺の山門(三門)は仁王門真下の参道を北へ徒歩約3分ほど歩いた先に位置する。
はじめて善光寺へ訪れる方であれば山門と仁王門の区別がつかず間違われる方がいますが、本堂を守る最後の門本堂の目の前の門が山門になる。
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