長野県 善光寺・釈迦堂(世尊院)「釈迦涅槃像(毘沙門天立像・不動明王像)」【重要文化財】

スポンサードリンク

長野県 善光寺・釈迦堂(世尊院)「釈迦涅槃像(毘沙門天立像・不動明王像)」【重要文化財】

%e5%96%84%e5%85%89%e5%af%ba%e3%83%bb%e9%87%88%e8%bf%a6%e5%a0%82%e3%81%ae%e5%be%a1%e6%9c%ac%e5%b0%8a%e3%80%8c%e9%87%88%e8%bf%a6%e6%b6%85%e6%a7%83%e5%83%8f%e3%80%8d%e3%80%90%e9%87%8d%e8%a6%81%e6%96%87

造立年

  • 不明
  • 推定:鎌倉時代末期
大きさ

  • 像高:1.66m
  • 重さ:487㎏
材質

重要文化財指定年月日

  • 1906年(明治39年)4月14日
作者

  • 不明

善光寺・釈迦堂(世尊院)「釈迦涅槃像」の読み方

善光寺の境内には、難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎がありますが、釈迦堂は「しゃかどう」と読み、世尊院は「せそんいん」と読み、釈迦涅槃像は「しゃかねはんぞう」と読みます。

ところで・・釈迦堂の御本尊「釈迦涅槃像」とは?

釈迦涅槃像とは「釈迦」と「涅槃像」の部分に分かると読みやすくなります。

釈迦とは?

現代の釈迦とは、お釈迦様のことを指し、インドでは「ゴーダマ・シッダールタ」と呼称します。

お釈迦様は北インドのネパールのルンビニー園の王子でしたが、29歳を迎える頃、宮殿の外の世界を知ってしまいます。

宮殿の外の世界は、自らがこの世に生まれてきて始めて目にする世界であり、そこには貧困の末、飢餓で死を待つ人々の姿があり、驚嘆し膝を落とすことになります。

釈迦は「これでは行けない」と人々を救済する方法を探すために王子と言う身分や着衣までの一切をかなぐり捨てて出家し、外の世界へ果てなき修行の旅へ出ることになります。

そして荒行(厳しい修行)を重ねるのですが、いっこうに人々を救済する術は見つからず、今度はついに自らが死を迎えようとしてしまいます。

しかし死を迎えようとした直前になって奇跡が起こり、ようやく悟りの境地に至り、回復後は仏の道を説いて多くの人々を救済することになります。

涅槃とは?

涅槃とは、釈迦が入滅(死を迎えた時)の時の姿のことであり、欲(煩悩)とのつながりが切れた究極の状態のことを指します。

釈迦は死を迎えた時、横になって寝ている姿で死の時を迎えています。

後にこの姿は「涅槃」と呼称されるようになります。

つまり釈迦涅槃像とは、お釈迦様が入滅を迎える時の横になっている時の姿の像のことを指します。


スポンサードリンク -Sponsored Link-






長野県 善光寺・釈迦堂の御本尊「釈迦涅槃像」の特徴・造り

この釈迦堂の御本尊である「釈迦涅槃像」は日本でも唯一の、お釈迦様の等身大の身長を模して造立された像となります。

お釈迦様の入滅時の姿を表現した像だけあって、6枚のお布団の上に身体の右側面を下にして北枕に横臥し(身体全体を横に向けて)、足を伸ばしきり、右手ではド頭を支え、目は閉じています。

ド頭の螺髪(らほつ/ド頭の極小たんこぶ連打)は丸くて背があり(高さがあり)大粒と言った特徴的な形状をしており、左手は腰の上に伸ばしきる形で添えられています。

涅槃像自体は、福岡県の南蔵院を代表として特に珍しいものではないのですが、等身大と言うは非常に珍しいものとなります。

長野県 善光寺・釈迦堂の御本尊「釈迦涅槃像」の歴史・由来

造立年は不明となっており、推定では鎌倉時代末期の造立と伝わっております。

しかしこの涅槃像の造立に関しては諸説あり以下のような説があります。

975年(天延3年)に越後(現・新潟県)の古多賀浜(直江津港)に巨大な流木が流れ着いたそうです。

しかしこの流木、あまりにも大きかった為、1度引き上げられて邪魔にならない場所(浜)へ移して再び海に投げ込まれたそうです。

しかしその翌日、なんと!昨日、海に投げ捨てたハズの流木が今度は古多賀浜に建っていた神社の境内で見つかったそうです。

仕方が無いので流木を砕こうと斧を巨木に入れた瞬間なんと!巨木が真っ二つに裂けて中から「黄金に光輝いた涅槃像」が出てきたそうです。

人々はこの像を仏と崇めて、しばらくは付近の寺院に移されて篤い崇敬が寄せられたようです。

しかしその後、夢のお告げがあって取り敢えずこのままココに置いておけないとのことで急ぎ信州善光寺の世尊院(釈迦堂)へ運び込んだとのことです。

1470年頃から1590年頃の間(戦国時代)を迎えると、戦火を逃れるなどの理由で善光寺・御本尊・御三卿像・御印文と同じくして日本中を転々として最終的にこの釈迦堂(世尊院)へ戻ってきています。

以後、この涅槃像は「京(京都市右京区清涼寺)の立ち釈迦、信濃の寝釈迦」などと呼称され、一層の篤い信仰が寄せられています。

その篤い崇敬の1つとして、7年に1度、善光寺で執り行われる御開帳の時には本堂以外にも、この釈迦堂に回向柱が建てられ、釈迦涅槃像と回向柱が結ばれます。

釈迦涅槃像の右手と回向柱を紐で結び、大勢の人々が回向柱に集って来世の幸福を願い、ひときわ華やいだ賑わいを見せます。

ちなみに、この釈迦涅槃像には不思議な謂れがあって、なんでも大きな厄災が降りかかりそうな時は予言したかのように大量に汗をかくそうです。ひぃゃ~

善光寺・釈迦堂(世尊院)のその他の仏像

その他、この釈迦堂には釈迦涅槃像の脇侍として毘沙門天像と不動明王像が安置されています。

善光寺・釈迦堂「毘沙門天立像」【市指定文化財】

造立年

  • 不明
  • 推定:平安時代中期から後期
大きさ

  • 像高:約79cm

釈迦堂の毘沙門天立像は善光寺七福神に数えられている仏像です。

1967年(昭和42年)に長野市の第1号となる指定文化財の登録を受けています。

善光寺・釈迦堂「不動明王像」

釈迦堂の「不動明王像」は、釈迦涅槃像の脇侍として本尊をお守りしています。

特別拝観時にのみ一般公開されます。

しかしこれは何も不動明王像だけに関わらず、上記の釈迦涅槃像・毘沙門天像ともに通常は一般公開されておらず特別拝観時にしか公開していません。

えぇっ?!善光寺釈迦堂には五重塔があった??

実はかつてこの釈迦堂には五重塔が存在したと云われております。

ただ証拠となる文献が少なく確証には至らないといったことになりますが、一説によるとこの五重塔の塔内で釈迦涅槃像が安置されていたとも云われております。

善光寺に五重塔が存在した事実は一遍上人の図絵に描かれており、これが真実であるならば、以前は五重塔で安置されていたことになります。

また、江戸時代の出開帳時には善光寺・本堂の御本尊と共に江戸や京、大阪まで巡幸し、焼失後の浄財集めに一役かったそうです。

尚、善光寺・釈迦堂(世尊院)に関しては当サイトの以下の別ページでご紹介しております。

スポンサードリンク -Sponsored Link-

    

当サイトの内容には一部、専門性のある掲載があり、これらは信頼できる情報源を複数参照し確かな情報を掲載しているつもりです。万が一、内容に誤りがございましたらお問い合わせにて承っております。また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。

関連コンテンツ