首都圏のスーパーでも「信州みそ」を見かけることがありますが、善光寺といえば「善光寺味噌」が有名です。
善光寺の味噌は「門前味噌」と呼ばれることもあり、善光寺の定番おみやげの1つとして人気を博しています。
以下ではそんな「善光寺みそ」が有名な理由、歴史や由来について述べています。
まず・・味噌の歴史から
「善光寺みそ」につながる、味噌の歴史からまず簡単におさらいしましょう。
味噌は飛鳥時代から、日本にあったと考えられています。
元々は古代中国で食べられていた醤(ひしお)などの発酵食品でしたが、これが中国大陸、朝鮮半島を通り、日本に渡ったものが味噌です。
日本における最古の味噌の記録は平安時代のもので、地位の高い人の食べ物だったことがわかっています。
「味噌汁」というものが成立したのは鎌倉時代と言われ、中国の僧が「すり鉢」を伝えたことに始まります。
このすり鉢で味噌をすって使うと、なめらかで水に溶けるという性質が判明しました。そこで味噌汁が作られたのです。
鎌倉時代までは、味噌は武士や地位の高い人のもので、庶民のものではありませんでした。
大豆が盛んに生産されるようになった室町時代に、ようやく味噌の生産量も増え、農民や庶民に味噌が浸透しています。
その後戦国時代に、味噌を戦陣食として用いるため、各地の武将が地元で味噌を製造することを推奨したのです。
豊臣秀吉や徳川家康が「豆味噌」、伊達政宗が「仙台味噌」をつくりました。
そして、武田信玄が推奨した味噌づくりが「信州味噌」だったのです。
善光寺とみその関係
善光寺縁起によれば、善光寺は皇極天皇の時代、644年(皇極天皇3年)に造営されました。
その後火災、戦乱などで、ご本尊は戦国大名のもとを転々としました。
1598年(慶長3年)に豊臣秀吉の命により、善光寺にご本尊が戻ったと言われています。
このとき、京都からご本尊を運んだのが大本願・第109世「智慶(ともよし)上人」です。
智慶上人の付き人であった藤井藤右門昌兼という人物の息子が、1637年(寛永14年)に善光寺の隣の西之門町に「よしのや」を開業し、酒造と味噌醸造を始めたと言われています。
「よしのや」は現在でも「善光寺外苑西之門 蔵元よしのや」として、善光寺大本願に隣接し、駐車場も大本願と西之門とで共同駐車場としているほど。
善光寺とみそには切っても切れない関係があったのです。
過去、東京への支援物資としても送られた
信州みそ、善光寺みそは、関東大震災や戦後の混乱期に何度も東京へ支援物資として送られ、首都圏で好評を博したと伝えられています。
現在門前、中見世エリアでは「みそソフトクリーム」など、名物のみそ料理を味わうことができます。
善光寺を訪れる際にはぜひチェックしてみてはいかがでしょう。
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