善光寺と牛の話
善光寺へ来れば「牛に引かれて善光寺参り」という言葉を耳にする機会が多いと思われるが、これは古くから善光寺に伝わる故事になる。
現在は1つの縁起として語り継がれているが、実のところ、牛に引かれて善光寺についてはいくつかエピソードがあるので、それを以下にて記そぅと思ふ。
善光寺に伝わる「牛に引かれて善光寺の参り」の話
その昔、信濃国小諸という土地にケチで強欲、おまけに性根のネジ曲がった不信心な老婆が住んでいた。
ある日、老婆が数枚の布を川で洗濯して軒先で日干ししていたところ、突如、急に落とし穴に落っこちたかのようなタイミングで1頭の牛が現れ、布を角に引っ掛けて何処かへ走り去って行った。
ケチで強欲な老婆は布1枚とてやるものかと必死のパッチで牛を追いかけた‥‥‥のだが、あたりは暗くなり始め、日が暮れようとしていた。
‥‥‥とその時、視界にクソでけぇジャガイモのようなケツを晒した牛野郎の姿が写り、息を吹き返した老婆は疲れも忘れて夢中で 牛ケツを追っかけた。
牛は歩みを止めることなく容赦なく突き進むと、やがて寺へと入り、一宇の堂の中へとスぅぅ〜と、姿を消した。
堂の中へ特攻をかける老婆!
老婆も牛を追って堂の中へ入っていく‥‥のだが、いなぅぃ!
ちょぃと床に目をやると何やら牛が垂らしたヨダレらしきものが点線状に散らされているのが見えるのみで、クソ牛の姿はドコにも見当たらねぇ!
その様を見るなりドッと疲れが押し寄せたのか、気が抜けて思わず腰を落としてしまった老婆だったが、なにやらキラキラとしたものが疲れた眼球を刺し、思わず目を細めた。
老婆は目を細めつつ、手の平で顔半分を覆いながら光の方向へ目を向けると、驚くことに牛のヨダレが輝きを放ちながら、何やら文字らしきものが浮かび上がってきた。
『牛とのみ 思い過ごすな 仏の道に 汝を導く己の心を』
そぅやって老婆が声を出して読み上げた途端、突如!老婆の身体が にわかに光り始め、老婆は自身の心が浄化されていく様を知った。
善人へと生まれ変わった老婆
こぅして老婆の体内から不浄なものが取り祓われると、やがて菩提心が芽生え始め、逆に信心深い人間へと転生したのだった。
以来、老婆はスッカリかりかりカリカリ梅‥‥酸っぱ!てなほどに、スッカリと善光寺のファンになって毎日参拝するようになったのだった。…久しぶりやな、”カリ梅 チュっ💋
そんなある日のこと、自宅近くの観音堂へ参拝した時のことだった、1枚の布が観音像の前に落ちているのを見つけた。
布を手に取ると、まさにそれこそが自身が川で洗って干した布そのものであり、老婆はあの時の牛が観音の化身であったことを悟った。
こぅしてますます信仰心を強めて最期は大往生した‥‥という話になるのだが、一説によるとこの時の観音様は小諸・布引山釈尊寺の布引観音だと云われ、実際、釈尊寺にも同様の話が伝えられてい‥‥‥申す。ウスィュっ(”牛”を表現)
事実に近い”もう1つの”「牛に引かれて善光寺参り」
室町時代中頃のこと、善光寺から南へ4キロほど離れた場所に仏導寺(ぶつどうじ)と呼ばれる寺あり、その近くに「スミ」という女性が暮らしていた。
スミの夫は武田勝頼 家臣の小形郡司直秀(おがた なおひで)と言う郷士(武士であり農民)だったが、勝頼に随従して赴いた長篠合戦にて討死した。
未亡人となったスミだったが、近くに寺が有りつつも信仰というものを知らなかったので夫の菩提を弔うことはなかった。
ある日のこと、スミが付近の池で布を洗っていると一頭の牛が布を角に引っ掛けて何処かへ走り去っていった。
牛は善光寺へ通じる北国街道を北上し、その様子を見たスミも牛を追って街道を北上したが、西光寺の前の坂(「袖引き坂」とも呼ばれる)まで来た時には、辺りは日が暮れて薄暗くなっていた。
牛は行き足を止めることなく走り続け、ついに善光寺の本堂の前まで来ると、パッ!と姿を消した。
途方に暮れるスミ
牛が姿をくらまして探すことはできなくなったが、スミは帰路に着きたくても辺りが真っ暗になったので自身が来た方向すら分からなくなった。
スミは途方に暮れたが、その時、布団を手持って本堂へ入っていく参籠者(さんろうしゃ/堂内で念仏を唱えながら1泊すること)の姿見えた。
人が居たことにホっ‥と胸をなで下ろしたスミは、とりあえず一晩の宿を求めて自らも後に続いて本堂へ入っていくことににした。
本堂内の様子
本堂の中へ入ったスミは驚いたが、それもそのハズ。生まれて初めて見る光景‥そぅ!自らの四方には隙間が無いほど参籠者がビッシリと詰め寄せ、「南無阿弥陀仏〜」と唱える念仏の声が鳴り止むことなく四方八方へ響き渡ってい申した。ナミャっ(”南無阿”を表現)
スミは多くの念仏の声を聞いているうちに信仰というもの知り、寺が家の近くにありながらも生まれてこのかた一度も寺へ行ったことのない我が身を恥じた。
翌朝、どこかいつもと違う清々しい心になったスミは善光寺を後にする。
やがて西光寺前まで来ると、なぜか不思議しぎしぎ摩訶不思議な気配に包まれ、袖引き坂の途中に佇む観音堂をのぞき込んだのだった。
するとなんとぉぅ!観音堂の中に昨日、牛が角に引っ掛けてった布が折りたたんで置かれてあった。
この布は昨日、牛の角に引っかかった布を追いかけるスミの姿を見ていた近所の人が、目につきやすいようににと観音堂の中に置いたものだった。
スミ、尼になる
布を無事に取り戻したスミは昨日の出来事を振り返った。
そこで、「昨日の牛は観音様が変化した姿であり、信仰心を持たない自らを善光寺へ導いてくださった」と考え、「ならば私は生涯を観音様に捧げ、供養しましょう」‥‥と誓うのだった。
こぅしてスミは出家して尼僧となり、袖引き坂前に建つ刈萱山 西光寺に座す蓮了上人(れんりょうしょうにん)の弟子となった。
その後、スミは布が置かれていた坂途中の観音堂に「布引観音」と名付け、観音堂の傍に草庵を結び、生涯を途して観音様を供養し、最期は大往生した‥‥‥という話。ちゃんちゃん
布引観音堂は現存しない
スミがこの世を去った後も、しばらくはスミの体験が「牛に引かれて善光寺参り」として語り継がれたが、1847年(弘化四年)に起こった善光寺地震の折、布引観音堂は倒壊し、その後、再建されることは無かったと伝わる。
やがて、スミの牛に引かれて善光寺参りの話も忘れ去られた‥‥‥のだが!今こぅしてこの霊験譚を書き下ろしたことによって再び語り継がれるの‥‥‥かのぅ?ホホホホっ ホぉぅ〜
また、スミが名付けた布引観音は‥‥‥いつか再建される日が来るのだろぅか。ポポポポポポっ パピポぉ …なにがしたいねん
佐久郡布下村に伝わる「牛に引かれて善光寺参り」
その昔、現在の「布岩」下の村落に住む不信心な老婆がい申した。ガハっ
ある日、老婆が布を川でさらしていると、1頭の牛が現れて布を角に引っ掛けてそのまま走り去ってしまった。
老婆も布と牛を追って北へ北へと進むうちに善光寺までたどり着いた。
老婆は善光寺如来を拝すと不思議なことに菩提心が芽生えはじめ、そのまま家に帰る道中で1歩歩くごとに善人に生まれ変わっていった。
家にたどり着いた老婆はスッカリかりかりカリフラワーのモコモコ度合いほどにスッカリと善人となり、その後、老婆の一家(孫たち)12人も善男善女となった‥‥という話。….モコモコ?マリオか?いやそれ”ノコノコ”やろ ..どゆ意味やちゅてんねん!!
布岩の下の12の祠の意味
現在、布岩の下には12つの祠が現存しているが、上記の老婆の孫たち12人を意味するとのこと。
また、牛は布引観音の仮の姿で角にかけた布は風に吹かれて岩にかぶさり、それが白斑となってしまったとのこと。